巣鴨教会聖書研究会 創世記48章

2006年12月17日 渡辺善忠

 

1.ヤコブの死

 イスラエルの信仰の祖に関する物語はしめくくりに向かいつつあります。4849章にはヤコブが死を迎えた出来事が詳細に記されているため、創世記の著者はこの場面によって、先祖の死と世代交代の意味を丁寧に説き明かしていると考えられます。

 この場面で最も大切なことは世代間で神の約束が受け継がれていることです。このことを具体的に申しますと、神が父祖アブラハムに言われた、「民が増すこと」と「土地が与えられる」という二つの約束が、ヤコブから息子たち、孫たちに確実に受け継がれることが、この場面の大切な意味であると言えましょう(17章1〜14節参照)。

 このように、世代交代の時期に、神の古の約束が記されていることから、創世記の著者は、異国の地で世代交代を迎えるヤコブの家族たちに対して、神の約束を思い起こさせていると共に、創世記の全ての読者たちに、世代を越えて神の約束に信頼して歩むことをうながしていると考えられます。私たちはこのことを心に留めると共に、聖書全体に記されている神の約束が、イスラエルから教会に受け継がれていることをふまえて、この場面を理解するべきでありましょう。なぜなら、私たちもまた、教会に連なる人々が与えられる(民が増す)ことと、土地が与えられる(天の国が用意されている)ことにおいて、神から確かな約束を与えられているからです。

 

2.不公平な祝福

 ヤコブはこの場面で、不公平な方法で孫たちに祝福を与えているように思えます(1314節)。この振る舞いに対して、ヨセフは、祝福の方法を変えさせようとしましたが、ヤコブはこれを拒みました(1719節)。この場面は、創世記の前の場面に見られるように、兄弟たちの中で年若い者が年長者に優る者とされる出来事に通じるところがあります。振り返りますと、神は、イシュマエルについても(16章)、エサウについても(25)、そしてヨセフについても、古代の家族形成の土台であった長子の権利を破棄され、年若い者を用いられました。このことには、神が、人間の価値観に従う方ではなく、自由な御心によって救いの御業をなさることが示されています。

 私たちはさらに、神の救いの御業を伝える共同体が、ユダヤ教から教会へと受け継がれたことからも、神が長子(ユダヤ教)ではなく、年若い者(教会)を顧みて下さった御業を示されるべきでありましょう。なぜなら私たちは、ユダヤ教の人々よりも後から救いが知らされた者であるにも関わらず、神は自由な御心で私たちを選び、ご自身の民として祝福を与えて下さっているからです。私たちはこのことを心に刻むと共に、神が今も、私たちの目には不公平に見える方法で祝福をお与えになる方であることを、謙った思いで信じ受け入れる者とされたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

神はご自身の民を増し、土地を与える約束を私たちにも与えて下さっています。

私たちは本来、約束を受け継ぐべき存在でないにも関わらず、神の招きによって約束と祝福を与えられている恵みに応えて、神が御子イエスによって全ての人々を約束の民として招いて下さっている御業を、教会として伝え続けてまいりましょう。