巣鴨教会聖書研究会 創世記46〜47

2006年11月19日 渡辺善忠

 *輪読では46章8〜27節の系図は省いて下さい

1.異国での世代交代

 ヨセフ物語は頂点を過ぎ、4650章は世代交代を主題とした緩やかな運びとなっています。このことをまとめて申しますと、この箇所は、ヤコブとヨセフの死と葬り(過去の締め括り)と次の世代への祝福(未来への展望)の二つを中心として展開していると言えましょう。創世記が記された時代のイスラエルの人々は、捕虜とされていたバビロンで世代交代を経験しつつありました。この背景から、イスラエルの人々は、異国の地エジプトでヨセフからヤコブへ世代が交代した出来事によって、神が異国の地でも自分たちを導いておられる御業に慰めと励ましを与えられたと思われます。

 創世記の著者が異国での世代交代を神の御業として理解していることは、特に46章1〜4節の神顕現の場面に示されています。なぜならこの場面には、エジプトへの移住が神の御心に適っていることが示されているからです。またこの場面は、ヨセフ物語全体における唯一の神顕現の場面であるため、ここには、ヨセフ物語の資料よりも古い資料が用いられていると考えられています。私たちはさらに、「わたしがあなたを連れ戻す」(4節)という御言葉に出エジプトが預言されていることから、創世記の著者が、イスラエルの人々がエジプトへ移住し、再びパレスチナに戻るまでに至る全ての出来事を、神の御業として伝えていることを心に留めたいと思います。

 

2.エジプトにおけるイスラエルの人々

 神顕現に続く旅の出来事には凱旋行進の雰囲気さえ感じられますが、イスラエルの人々はほどなくエジプトで苦難を受ける時代を迎えます。このことから、後の人々は、ヤコブ一家の幸福な姿と苦難の時代に、大きなコントラストを感じたと思われます。

 イスラエルの人々が苦難を受けることは、「羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである」(4634節)という言葉で預言されています。なぜならこの言葉には、遊牧民族であったイスラエルの人々が、農耕を主としたエジプトで「よそ者」であったことが示されているからです。また、繰り返し「農地」と記されている御言葉にも、エジプト人が農耕民族であったことが示されています(471826節)。この後は、イスラエルの人々の立場が変化する出来事が描かれて行くことになります。

 また、ヤコブが死を迎える場面で、エジプトではなく約束の地に葬られることを望んでいる出来事には、エジプトがイスラエルの人々の定住の地ではないことが示されています(472731節)。このことから、創世記の著者は、エジプトの地におけるイスラエルの人々の立場の変化を伝えることによって、出エジプトの出来事に備えていると言えましょう。私たちはこのことをおぼえて、46章から後の章が出エジプト記への備えであることをふまえつつ、この後の場面を辿ってまいりたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

エジプトにおけるイスラエルの人々の立場が刻々と変化する出来事には、私たちも、国や民族や社会的における立場が変化することが示されていると考えられます。私たちはこのことを心に留めて、私たちの立場が変化することにも関わらず、神が、私たちをご自身の民として守り導いて下さる御業に信頼して歩んでまいりたいと思います。