巣鴨教会聖書研究会 43章

2006年9月17日 渡辺善忠

 

1.和解への備え

 43章では、前章に引き続き、ヤコブ(=イスラエル)が再び一つの家族となりうるかという主題が展開されています。前章でもふれたように、ヨセフは、純真だった性格から一転して、大きな権力を手にした計算高い人間として描かれているため、42章以降は、それ以前とは異なった伝承が用いられている可能性が高いと思われます。

 このように、42章以降では以前と異なったヨセフの姿が伝えられておりますが、43章の後半では、ヨセフが情にかられた出来事が記されています(2934節)。このことから、創世記の著者はこの場面から45章の和解への準備を始めていると言えましょう。

和解の鍵となるのは、43章の後半に記されているベニヤミンとの再会です。ヨセフとベニヤミンが強い絆で結ばれていたことは、この二人が共にラケルの子であったことが大きな理由でした。私たちはそのことに加えて、兄弟の中で最も小さい者であった二人が特別な絆を持っていたことから和解への道が開かれた出来事によって、家族の中の小さな者を顧みて下さる神の働きを示されたいと思います。このような神の御業は、ヤコブが、長子であったエサウを差し置いて祝福を受ける者になったことにも示されています。このことから、創世記の著者は、ヤコブの一家が飢饉から救われる出来事を、古代の家族の価値観が逆転される視点から描いていると思われます。このような価値観の逆転は、創世記が記された時代に、イスラエルの人々の多くが捕虜であったため、長子による家督相続が難しくなったことが背景にあると考えられます。

 

2.パレスチナ地方の飢饉について

 ヨセフ物語の背景には、古代において素朴な土地であったカナンと、壮麗な文化を誇っていたエジプトとの対比があります。このような対比の一因は、ナイル川を有していたエジプトが、パレスチナ地方よりも豊潤な作物を得ていたことに対して、パレスチナの土地の多くは貧しく、作物に恵まれなかったことにあると思われます。

 振り返りますと、創世記の12章には、パレスチナ地方に飢饉が起こり、アブラハムが妻サラを連れてエジプトに食料を調達しに行く出来事が記されていました。また創世記の26章に記されている、アブラハムの子イサクが、飢饉のためにゲラル(地中海沿岸のエジプトに近い土地)に行った場面には、「この地方にまた飢饉があった」(26章1節)と記されていることからも、パレスチナ地方に度々飢饉が起こったことがわかります。その後の旧約時代の歴史を辿りますと、サムエル記や列王記にも飢饉が起こったことが記されており、預言者たちは、飢饉を神の審判として理解するようになったことが伝えられています(アモス書4章6節、エレミヤ書14章1〜22節参照)。

私たちはこのことから、創世記や出エジプト記に伝えられているイスラエルとエジプトの関係はもとより、地中海沿岸の民族が、しばしば、飢饉のために大移動を繰り返したために、戦争や宗教の混交が起こったことを示されたいと思います。また、そのことに加えて、民族の移動が繰り返される地域において、イスラエルの人々が自らの信仰を守るために、この後に長く労苦を重ねて行くことを心に留めたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 創世記の著者は、ヨセフとベニヤミンが再会した出来事によって、ヤコブの一家が和解に導かれる備えを始めました。私たちはこの出来事をおぼえて、教会の交わりはもとより、私たちの日常の歩みにおいても、人と人とを執り成す小さな者として用いられることを祈りつつ歩んでまいりましょう。