巣鴨教会聖書研究会 4

2006年16日 渡辺善忠

 

1.ヨセフ物語の中心部

 4244章の3章は以下のように整えられているため、3941章の3章と対応していると考えられています。*それぞれの段落の同じ記号が対応する部分となっています

       42章1〜5節(導入)

    ☆42章 6〜25節 ヨセフと兄たちとの最初の会見

       ★42章26〜28節 (旅立ちと計略のエピソード)

     ♪42章29〜38節 ヤコブと息子たちとの最初の会見

     ♪43章 1〜15節 ヤコブと息子たちとの二回目の会見

    ☆43章16〜44章34節 ヨセフと兄弟たちとの二回目の会見

       ★44章 1〜 5節 (計略のエピソード)

 この3章は以上のように、ほぼ左右対称に構成されているため、創世記の著者は、この部分をヨセフ物語の中心部分として入念に記したと考えられています。

 また、この部分の内容は、基本的にヤコブの家族内の出来事だけが記されており、外面的な場面が著しく後退しているため、この3章では、イスラエル(ヤコブ家)が一つの家族として再生できるかということが大きな主題であると考えられます。

 イスラエルが再び一つの家族となりうるかという主題は、創世記が編纂された時代に、イスラエルが新バビロニア帝国の捕虜であったことはもとより、紀元70年に国が滅ぼされた時から現代に至るまで続いている重い課題であると考えられます。

 

2.ヨセフと兄たちとの関係

 ヨセフはこれまで、聡明で慈悲深い人物として伝えられてきました。しかしこの章に至ると、彼は無慈悲で復讐心に満ち、策を弄する者として描かれています。ヨセフの姿がこのように大きく変化していることから、この章以降は、41章までと別の複数の資料に基づいて記されたのではないかとする説もあるほどです。しかし、創世記の著者はおそらく、ヨセフの姿を意図的に変化させることによって、ヨセフ・父ヤコブ・他の兄弟たちの三者に意図的に緊張を作り出していると思われます。

このように、ヨセフの姿が変化し、三者間に緊張が与えられている理由には諸説ありますが、この後の歴史で、ヨセフと兄たちがそれぞれの部族に分かれることから、創世記の著者は、十二人の兄弟たちが等しく、神から与えられる地を治める者とされることの準備として、この場面で兄弟たちに程よい緊張を与えていると考えられます。

このことは物語の中ではっきりと示されていないため、ヨセフ物語の中核をなすこの部分は、隠されている神の御業が進んでいる場面であると言えましょう。私たちはこのことから、神が、私たち人間の理解や同意を得ることなく、ご自身の考えに基づいて人間の歴史を導かれることを心に刻むべきでありましょう。

 このように、ヨセフ物語の中核で、神の働きが隠されていることから、私たちは、神が、今も私たちの全ての歩みを司っておられ、大きなご計画の内に、私たちの歩みを、ご自身の救いの歴史として導いて下さる恵みを心に刻みたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 4244章には、ヨセフが再びヤコブや兄弟たちと会い、一つの家族とされる出来事が伝えられています。私たちはこの場面によって、神が、私たちの家族の交わりを築いて下さる恵みをおぼえると共に、神が、私たちの思いを越えて、ご自身のご計画の内に私たちの歩みを導いて下さる御業を信じ受け入れる者とされたいと思います。