巣鴨教会聖書研究会 41章

2006年18日 渡辺善忠

 

1.地位回復

 3941章の内容は一続きになっており、41章はこの部分を完結する役割を担っていることから、この3章は古代エジプトの資料に基づいて記されたと考えられています。

 私たちはまた、この章の背景には、「ナイル川」という自然の生命力に頼っていた人々への批判があることを心に留めたいと思います。なぜなら、ヨセフをはじめとするイスラエルの人々は、自然の力に頼るのではなく、「夢解き」に象徴される神の知恵に従って歩んでいたからです。このことから、ヨセフの地位が回復され、彼がエジプトの行政官僚として召し抱えられた出来事には、私たち人間が、自然の力に頼るのではなく、神の知恵に従って自然を治めることの大切さが示されていると言えましょう。

神の知恵によって自然を治めるという意味をさらに掘り下げて考えますと、この出来事の背後には、エジプトにおいて、自然を神としていた人々への批判があったとも思われます。なぜなら、ファラオがエジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めても、夢を解き明かすことが出来なかった出来事には、魔術師たちと賢者を代表とするエジプトの自然宗教への批判があるからです(8節)。私たちはこのことをおぼえて、自然はもちろんのこと、政治的な力や、様々な習慣などに心を奪われることがないように努めたいと思います。またそのことに加えて、41章に描かれているヨセフの姿によって、聖書の御言葉を通して神の知恵が示された時には、周りの状況に臆することなく、神の御心に従って歩み続けることの大切さを心に留めたいと思います。

 

2.神の御心を知るために

 41章の冒頭で、パロの心が夢によって騒がされた出来事には、私たちが、神の御心を知った時に、その意味が理解できず心乱れる姿が示されていると思われます。パロは王という立場上、不快な情報はあまり耳に入らなかったと考えられることから、神は、人を介さない「夢」によってご自身のご計画を進められたと言えましょう。

 私たちはこのことから、パロが王としての主導権を失い、ヨセフを通して神が歴史を司ることが、この章のテーマであることを示されると共に、この出来事がヨセフ物語の大きな転換点であることを心に留めたいと思います。このようにパロが主導権を喪失して行く姿を、古代の歴史に照らして考えますと、この章には、大国エジプトでさえも、神の下にあるというイスラエルの人々の理解が示されていると考えられます。

 私たちはさらに、ダニエル記の2章と5章に、この章の内容とよく似た並行記事が記されていることを思い起こしたいと思います。なぜなら、ダニエル書は、イスラエルが新バビロニア帝国との戦争に負けた後に記されたため、イスラエルの人々は、古代におけるエジプトはもとより、旧約聖書が記された時代の新バビロニア帝国や、後のローマ帝国も含めて、自分たちを取り巻く大国が、神のご支配の下にあるという理解に希望を与えられていたからです。私たちはこのような歴史的背景を心に留めて、国と国との関係はもとより、私たちを圧迫する様々な状況に囚われることなく、神への御心を知ることができることの大切さを心に刻みたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 この章には、神が、地上で権力をふるうエジプト王をも、ご自身の民を救うご計画のためにお用いになった出来事が伝えられています。私たちはこの出来事によって、神が、ご自身のご計画に従って私たちを導いて下さる御業をおぼえると共に、神の御心が示された時には、臆することなく御心に従って歩み続けてまいりましょう。