巣鴨教会聖書研究会 40

2006年21日 渡辺善忠

 

1.夢を解くヨセフ

 40章では再び、夢を解き明かす賜物を持つヨセフの姿が描かれています(37章参照)。

しかし、ヨセフは、この場面ではまだ牢につながれたままであり、夢を解き明かされた二人も、ヨセフへの恩を忘れてしまうことから、物語の進度はこの章でやや落ちているように思えます。このことから、創世記の著者は、次章でヨセフの地位がドラマティックに回復されることへの備えとして、この章を記したと考えられています。

また、40章以降は、39章までの資料とは別の資料に基づいて記されているため、この章は、読者を新しい展開に馴染ませる役割を担っているとも思われます。

 私たちはさらに、牢の中で夢を解くヨセフの姿によって、彼が、世俗的な地位や考えに影響されることなく、夢の意味について自由に語ることができた出来事を心に留めるべきでありましょう。なぜなら、創世記は、イスラエルの人々が捕虜としてバビロニアにいた時期に編纂されたため、ヨセフが牢の中で夢を解き明かした出来事の背後には、イスラエルの人々が、捕虜であった時代にも、内面的には神の御心に従って歩んでいた出来事が背景にあると思われるからです。また、「この家から出られるように取り計らってください」(14節)という御言葉にも、イスラエルの人々が捕虜としてバビロニアにいた出来事が反映されています。私たちはこのような歴史的な背景をおぼえて、私たちもまた、周りの出来事にとらわれることなく、神の御心に従って聖書の御言葉の意味を読み解くことの大切さを心に刻みたいと思います。

 

2.夢の意味について

 古代エジプトの文献には、夢が実生活に大きく影響すると考えられていたことが伝えられています。このことをふまえますと、夢を解釈することに長けていたヨセフが高い地位を得たことは当然であったと思われますし、40章の内容は、エジプト的な色彩が強い物語であるように感じられます。しかし、創世記の著者は、単にエジプトにおける夢の理解に影響を受けているだけではなく、エジプト人の夢の中にも、イスラエルの神の力が働いていることを示すためにこの物語を記したと考えられます。

 また、ダニエル記2章には、預言者ダニエルが、夢の解き明かしに長けていたことが伝えられていますが、このことの背景には、エジプトで発祥した夢解きが、パレスチナ地域に受け継がれた出来事が反映されているのではないかと思われます。

 現代において、夢は、深層心理の表出であると考えられています。しかし、古代においては、現代の理解とは全く異なり、夢には具体的な出来事を指し示す力があると考えられていました。このことを広く考えますと、ヨセフが夢解きをした働きは、後の預言者の働きに受け継がれたと言えるのではないでしょうか。8節には「解き明かしは神がなさることではありませんか」と記されておりますが、この言葉にも、ヨセフの働きが後の預言者の働きに受け継がれたことが示されていると言えましょう。

私たちはこのことをふまえて、夢についてはもとより、聖書の御言葉も、神が解き明かして下さる恵みを信じ受け入れる者とされたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

ヨセフが、夢解きの賜物によって牢から救い出され、高い地位を得たことは、捕虜としてバビロニアにつながれていたイスラエルの人々にとって、大きな慰めとなったことでしょう。私たちには夢を解く力はありませんが、ヨセフの姿にならって、神の御心に従って聖書の御言葉を読み解く力を与えられるように祈り求めたいと思います。