巣鴨教会聖書研究会 3

2006年2月19日 渡辺善忠

 

1.ヨセフ物語を読み解く鍵

創世記の3750章には、ヤコブの息子ヨセフを主人公とした長大な物語が収められています。この物語には、ヨセフがエジプトに売られて行った出来事から始まり、イスラエルの人々がエジプトに移住し、定住するまでの場面が伝えられていますが、この出来事は、イスラエルの人々が再びパレスチナの地に戻る「出エジプト」の出来事の前史となっています。このことから、ヨセフ物語には、これまでの場面に比べて、現実の歴史が深く反映していると考えられています。私たちはこのことから、生ける神が私たち人間の歴史を司り、時には明瞭に、また時には隠された形で、私たちを導いて下さる御業が、この物語の最も大切な主題であることを示されたいと思います。

ヨセフ物語がどのような資料に基づいているかについては、様々な説がありますが、物語の内容が、地理的にも文化的にも広い視野で記されていることから、おそらく、エジプトの宮廷物語が元々の題材ではないかと思われます。この物語が現在に近い形で記された年代については確定できませんが、一般に、イスラエルが繁栄していたソロモン王の時代(紀元前10世紀)に元の資料が記されたと考えられています。これらの歴史的背景から、創世記の著者は、神の摂理が一般の歴史の中にどのように働いているのかを伝える目的で、ヨセフ物語を創世記に収めたと思われます。私たちはこのことをおぼえて、神が、私たちの日々の歩みにおいてどのような御業をなさっておられるのかということを顧みつつ、ヨセフ物語を読み解いてまいりたいと思います。

 

2.ヨセフ物語の序章の役割

 37章の大切な点は物語全体を支配している「夢」という主題を示していることです。

このことを具体的な場面に照らして考えますと、ヨセフが夢を見なければ、ヨセフと兄弟たちが争うこともなく、父ヤコブが悲しむこともなかったことにも、夢が全ての出来事の始まりであることが示されています。私たちはこのことから、夢がどのように成就するのかという視点を持つことが、ヨセフ物語を辿る良き道であり、夢が実現することを、人間の知恵や力で妨げることは出来ないことを示されたいと思います。

 私たちはまた、古代において「夢」が、神が御心を顕す手段と考えられていたことを心に留めたいと思います。なぜなら、「夢」は、現実の人間関係から自由であるために、神が御心を顕されることの制約がないからです。この意味で、ヨセフは夢を見るために生まれてきたと言っても言い過ぎではありません。私たちはこのことに加えて、創世記の著者が、「夢」を、深層心理的な視点によるのではなく、神学的にとらえていることをおぼえたいと思います。なぜなら創世記では、「夢」が神の摂理が歴史に顕れるための手段とされているからです。このことを新約聖書の場面に照らして申しますと、神が、主イエスの母マリアの夫となったヨセフに、夢によって御心を示された出来事にも通じることであると言えましょう。私たちはこのことをおぼえて、聖書全体の中で、「夢」が、神の摂理を伝える役割を担っていることを心に留めたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 ヨセフ物語は内容に富んでいるため、人間関係の縮図のように感じられます。私たちはこのことをおぼえて、神が、37章の愛憎に満ちた人間関係の中にご自身の摂理を示され、救いのご計画を進められたように、私たちの歩みの内にも、ご自身の御心をなされる御業を信仰をもって見出し、神の御心を受け入れる者とされたいと思います。