巣鴨教会聖書研究会 34章

2005年10月16日 渡辺善忠

 

1.パレスチナ地方への定着

34章には、ヤコブ一族とヒビ人との争いが伝えられています。この争いは、創世紀の中で最も醜悪な物語の一つではないでしょうか。このように、争いが赤裸々に描かれていることから、創世記の著者は、この物語を読む者に、全ての人間が、不誠実な心や残虐な心を持っている現実に目を向けることを促していると考えられます。

この争いの発端は、結婚を巡る家族間の確執でした。しかし、家族間で始まった争いが、物語の後半では、民族間の大きな争いにまで発展しています。このことから、この物語には、イスラエルの人々がパレスチナ地方に定着する際の、先住民族との大規模な戦いがあったことが反映されていると考えられています。聖書外の考古学の資料には、イスラエルとシケムの人々が、紀元前14世紀から密接な関わりを持っており、しばしば争いがあったことが伝えられています。このことからも、34章の出来事の背後には、イスラエルの人々がパレスチナ地方に定着した時代に、先住民族との間に大規模な戦いがあったことが反映されていることは確かであると考えられます。

この物語にはまた、異民族間の結婚問題も背景に含まれていると思われます。このことを、イスラエルの人々がパレスチナ地方に定着した歩みと照らして考えますと、定着の過程で、異民族との結婚問題が起こった際に、神への信仰を守ることを条件としたことも、この物語の背景の一つだったのではないかと考えられています。

 

2.ヤコブの呟き

この場面でヤコブはほとんど登場しませんが、30節にはヤコブの言葉が収められています。この言葉は、息子たちを戒める苦言ですが、叱責というよりも老人の呟きのように感じられるのではないでしょうか。このことから、この言葉は、年老いたヤコブの姿を示すと共に、世代交代への備えの役割を担っていると言えましょう。

ヤコブはこれまで、自分が経験した争いについて、悔恨したことはなかったように思えます。しかしこの場面に至って、ヤコブは、自分の息子たちの振る舞いによって一族が危険にさらされたことを恐れています。ヤコブがこのような恐れを抱いたことには、彼の一族が、シケム地方で小数者であったためだと考えられています。聖書の行間を読む解釈になりますが、ヤコブは、シケムの人々と折り合うために、実利的な考えで行動していたように思われます。ルターはこのようなヤコブの心中を察して、ヤコブの呟きを「信仰の言葉ではなく、実利的に考える人間の苦情」と表しています。

私たちはさらに、ヤコブの呟きに、息子たちに一族を託することに対する不安が含まれていることをおぼえたいと思います。しかし、創世紀の著者は、この言葉によって、ヤコブに不安を抱かせた息子たちの振る舞いも、人間の現実であることを告げていると言えましょう。私たちはこのことから、不安と呟きに満ちた私たちの歩みの内にも、神の御力が働いている恵みを見出しつつ歩む者とされたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 34章には人間の悪しき姿が生々しく伝えられています。私たちはこのことから、34章に記されている出来事によって、私たちの内にも、不誠実な心や残虐な思いがあることを示されるべきでありましょう。そのことをおぼえて、私たちの罪多き現実の中に神の力が働いていることを信じ、神の導きを祈りつつ歩んでまいりたいと思います。