巣鴨教会聖書研究会 創世記26

2005年3月20日 渡辺善忠

1.イサク資料

26章はイサクに関する複数の伝承をもとに、創世記の著者によって編集された章であると考えられています。23節には、イサクが、南方のベエル・シェバ地方で有力な人物となったことが記されていますが、これは史実であったようです。また、7〜11節に記されているイサクとアビメレクのやり取りや、26〜33節に記されている和解の方法は、イサクの穏やかな人柄を伝えています。特に、イサクとアビメレクのやり取りは、妻を妹と偽る三度目の記事ですので、創世記の著者は、この出来事によって、イサクの穏やかな性格を強調して伝えていると考えられます。このことから、イサクは、イスラエルの歴史に刻まれるような大きな働きを残した人物ではなく、アブラハムとヤコブへの移行期を導く人物として創世記の中に収められていると言えましょう。

 しかしこのことは決して、イサクの存在を軽んじるものではありません。なぜなら、創世記の著者は、イサクを、アブラハムから祝福を受け継ぎ、ヤコブに祝福を伝える大切な存在として描いているからです。創世記においては、「祝福」が、神の恵みという視点と、この世的な富の取得という両面で語られておりますが、26章におけるイサクは、名実共に「祝福」を受け継ぎ、ヤコブに伝えた人物として描かれています。私たちはこのことから、神が、私たちの性格如何に関わらず、それぞれに応じた働きを与えて下さり、ご自身の僕として用いて下さることを示されたいと思います。

 

2.井戸をめぐる争い

「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)には、「日本人は水と安全はただで手に入ると思っている」と記されています。旧約聖書には多数の旱魃の記事が記されていることから、イスラエルの人々にとって、水を確保することが常に大きな問題であったことがわかります。26章には、イサクの僕たちが井戸を掘り当て、近隣の人々と争った出来事が記されていますが、21章にも似た記事が収められていることからも、イスラエルの人々にとって、水の確保が日常的な問題であったことがうかがえます。

また、この章には井戸の名前が記されておりますが、「レホボト(広い場所=意訳:「息継ぎの場」「生命の空間」)」(22節)という名には、イスラエルの人々が、井戸を含む安全な場所を常に求めており、神がその場所を備えて下さった出来事が示されていると言えましょう。また、26章をしめくくる場面で、「水が出ました」(32節)という言葉が記されていることには、井戸を掘り当てた喜びが反映されています。このような厳しい環境の中で、イサクは僕たちが掘り当てた複数の井戸を管理する能力に長けていたと考えられます。中近東において水は大変貴重ですので、井戸を掘り当て、水を司る者がその地方の実力者となったことには不思議はありません。

 また、イサクが、井戸が掘り当てられた場所に祭壇を築いた出来事には、水を与えられたことの感謝を神に捧げたことが示されています。私たちはこの出来事から、恵みが与えられた時に、神に感謝を捧げることの大切さを心に留めたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

イサクの姿には、神から与えられた祝福を、感謝と責任をもって受け継ぐことの大さが示されています。私たちは、イサクの姿に照らして、私たちが神の祝福を受け継ぎ、次の世代に伝える責任を果たしているかどうかを顧みるべきでありましょう。

私たちはさらに、「水を治める」ということを、生命の水であるイエス・キリスト(ヨハネ福音書4章1〜15節)の光に照らして理解したいと思います。私たちを本当の意味で生かして下さる主イエスに信頼を置き、主の弟子として神からの祝福を受け継ぎ、与えられた役割を忠実に担う者とされることを祈りつつ歩んでまいりましょう。