巣鴨教会聖書研究会 創世記2

2004年11月21日 渡辺善忠

1.サラの死を悼むアブラハム

 この章にはアブラハムの妻サラの死と埋葬の出来事が記されています。これまでの文脈では、サラは激しい気性を持った嫉妬深い人物として描かれてきました。しかし23章の御言葉は、アブラハムがサラを深く愛していたことを語り伝えています。私たちは、アブラハムがサラを尊び愛していたことを、「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」(2節)という御言葉はもとより、サラの葬りの出来事が23章全体に丁重に記されていることからも示されたいと思います。聖書の御言葉の行間を読む解釈となりますが、この章は、人間的に問題が多かったサラも、人生の終わりには純粋な信仰に至ったことを語り伝えているのではないでしょうか。

 また、この章に記されている土地の取引きの方法が、古代のヒッタイト王国の法的慣習と一致することから、この章の元の資料はかなり古い時代に遡るものであると 考えられています。この章が古い資料に基づいていることは、ヘブロンの地名が「キルヤト・アルバ」(2節)という古い地名で記されていることからも明らかです。創世記の著者はおそらく、アブラハムがサラを丁重に葬った出来事に信憑性を与えるために、古い伝承を基として具体的な語り口でこの章を記したと考えられます。また、  サラのために土地を手に入れる交渉に労苦しているアブラハムの姿を記すことによって、アブラハムがサラに対して深い愛情抱いていたことを伝えていると思われます。

2.土地の取得について

 この章はまた、イスラエルの父祖アブラハムが初めて土地を得たことが伝えられています。創世記の著者は、アブラハムが土地を得た出来事によって、イスラエルの人々がパレスチナ地域に土地を持つことへの正当性を主張したと考えられます。私たちはここで、創世記が、イスラエルの人々が捕虜としてバビロニアにいた紀元前6世紀頃に編纂されたことを思い起こしたいと思います。なぜなら創世記の著者は、この章によって、パレスチナに住むべき民族が自分たちであることを主張しているからです。

しかしこのことは、そのまま現代の土地所有の典拠となるものではありません。なぜならアブラハムは、武力によって土地を取得したのではなく、正当な取引きによって土地を購入したからであり、取得した土地は生きた人間が住むためのものではなく、死者を葬るための墓所であったからです。23章は、古代から現代に至るまで、イスラエルの人々がパレスチナ地方の土地を持つことの根拠とされてきました。しかし私たちは、ここに伝えられている土地取得の記事が、あくまで象徴的な出来事であることを理解するべきでありましょう。なぜなら、神がアブラハムに「土地を与える」(12章7節)と約束して下さった御言葉は、目に見える土地だけにとどまらず、世界の至るところに教会が建てられていることによって本当の出来事とされたからです。私たちはこの意味で、「土地を与える」という神の約束が、神の救いの歴史が語られる「教会」の存在によって成就している恵みを、教会として語り伝えてまいりたいと思います。

3.私たちへのメッセージ

 創世記に収められている全ての出来事は、神が約束を本当の出来事として下さることを基としています。この章において、そのことは、アブラハムが初めて土地を与えられた出来事に示されていると言えましょう。私たちはこのことから、神が、アブラハムに土地を与えて下さるという約束を、「死者を葬る」という一般的な儀礼の内に 具体的な出来事として下さった恵みを示されたいと思います。神は私たちの全ての歩みを見守り、導いて下さる方です。私たちの歩みの内に、救いのご計画を確かな出来事として下さる神の御力を感謝して受け入れつつ歩んでまいりましょう。