巣鴨教会聖書研究会 創世記19章

2004年7月18日 渡辺善忠

1.ソドムのゴモラの滅亡

 19章に記されている出来事は、創世記の中で最も緊迫感に満ちている物語の一つではないでしょうか。18章の物語が神学的な考えによって練られているのに対して、19章には緊張感に満ちた物語が一貫しているため、一般に、19章は18章よりも古い伝承がそのまま用いられていると考えられています。創世記の著者は19章に古くから伝えられてきた物語を収めることによって、神が約束の子であるイサクをアブラハムに与えて下さるまさにその時においても、人間の悪しきふるまいが地に満ちていることをリアルに伝えていると言えましょう。私たちはこのことから、この物語を決してひとごととして捉えるのではなく、悪に満ちた世から私たちが救われる出来事として理解したいと思います。この意味で、「ソドムとゴモラ」は、古代都市の名前だけにとどまらず、神の秩序に反抗しようとする私たちの悪しき思いを象徴しているのです。

アブラハムとロトは、そのような悪しき世界の中において、信仰者として生き抜きました。アブラハムは18章の後半において、世知に頼ることをやめ、神と人々を執り成す信仰者のモデルとして描かれています(18章16〜33節参照)。またロトも、アブラハムと袂を分けた時のように、自分の考えで歩むのではなく、神の救いの御手に信頼して歩み出す者として伝えられています(13章参照)。29節の御言葉は、この二人が良き信仰者のモデルであることを伝えていると考えられます。私たちはこの二人の姿から、悪しき世を歩む時においても、内なる悪しき思いに満たされる時にも、私たちを救って下さる神の御手に信頼することの大切さを示されるべきでありましょう。

主はロトに「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない」(17節)と言われました。この御言葉に示されているように、私たちにも「命がけで」主の救いにすがりつく時があるのではないでしょうか。そのような時には、ロトとその家族が主の御手にすがって走り続けた出来事を思い起こし、励ましと慰めを与えられたいと思います。

2.ロトと二人の娘たち

 19章30〜38節には、古代の習慣を反映した出来事が記されています。このような「近親相姦」は、近代的な倫理観ではもちろんのこと、イスラエルの律法においても禁じられていたことでした(レビ記18章6節参照)。この物語を歴史的な視点で理解すると、モアブ人とアンモン人(37〜38節)のルーツを伝える素朴な物語であると考えられています。創世記の著者が他国民に対して寛容な理解を持っていたことが示されていると言えましょう。モアブとアンモンも、アブラハムの信仰のゆえに祝福の民としておぼえられる。

この物語の内容は決してそのまま現代に適用できるものではありません。しかし、ロトと家族が「命がけで」主の救いにすがりつき、ツォアルに逃げ延びたことを考えると、この物語には、たとえ倫理に反することであっても、子孫を残すことによって生き延びる道を選んだロトの家族の素朴な姿が伝えられていると思われます。私たちはこのことから、神は時には、私たちの倫理的な考えや道徳的な判断を越える道を備えて下さることがあることを示されたいと思います。

3.私たちへのメッセージ

神は常に救いの御手を差し伸べて下さる

 神はどのような悪しき世にあっても、私たちに救いの御手を差し伸べて下さっています。私たちは、神がソドムとゴモラを滅ぼされる直前にロトを救われた出来事から、神の救いの御手に信頼して歩み続けることの大切さを示されたいと思います。