巣鴨教会聖書研究会 創世記12章

2004年2月15日 渡辺善忠

1.神の招きによる信仰共同体の始まり

 神は天地創造の御業によって世界を存在へと招いて下さいました。しかし、人間は自分が被造物であることを忘れて神から離れて行ってしまいました。その結果、人間のみならず世界全体の秩序は乱れたものとなりました。私たちはこのような人間の愚かさを顧み、神のアブラハムへの招きが、世界の中に秩序ある信仰共同体を再創造して下さる恵みの御業であることを示されたいと思います。創世記の著者はこのことをふまえて、「サライは不妊の女で、子供ができなかった」(11章30節)という言葉で人間の営みを中断した後に、神の招きを新しい歴史の始まりとして記しているのです。

私たちはまた、アブラハムが神の招きに応えたことが、旧約時代の信仰共同体の基であり、初代教会がこの信仰を受け継いでいることを受け入れたいと思います(ヘブライ人への手紙11章参照)。真に神は、アブラハムへの招きによって、全ての人々を救いに招いて下さるご計画を始められたのです。私たちはこのことをおぼえて、神がアブラハムを招いて下さった出来事が私たちの教会の礎であることを示されると共に、アブラハムが神の招きに応えて最初に礼拝を行ったシケムが、後にイスラエルの12部族が定期的に集まって礼拝を捧げた場所となったことを心に留めたいと思います。

2.信仰者アブラハムに学ぶ

 アブラハムは神の招きのみによって「生まれ故郷、父の家を離れて」(1節)カナン地方へと旅立ちました。アブラハムについて詳しいことはわかりませんが、伝統的な理解によれば、紀元前二千年代の中期にメソポタミア地方から移動してきた人物であると考えられています。アブラハムの職業についても、遊牧民、豪商などの説があり、特定はできません。創世記の著者はおそらく、アブラハムの出立を詳しく記さないことによって、アブラハムが自由な意思で旅立ったことを強調していると思われます。

しかし、神の招きに応えてからのアブラハムの歩みは、決して平坦な道ではありませんでした。アブラハムの生涯が波乱に満ちていたことは、12章10〜20節のエジプト滞在の記事にすでに示されています。この記事は、元来のアブラハム物語とは別の伝承から取られたと考えられていますが、創世記の著者はこの記事を収めることによって、アブラハムもまた、神への信頼から離れようとする弱き人間であったことを示すと共に、そのような困難の中にあっても、神に対する素朴な信頼を貫いた信仰者であることを伝えていると言えましょう。私たちはこのことをおぼえて、アブラハムが与えられた信仰が教会のルーツであることを信仰の「保障」とするのではなく、アブラハムの神への素朴な信頼から信仰者として歩む姿を学ぶべきでありましょう。

3.私たちへのメッセージ

・神の招きにアブラハムが応えたことが「教会」の礎である

  私たちは、アブラハムが神の招きに応えて旅立ったことから、私たちの教会の礎が、アブラハムが神から与えられた信仰であることを心に刻みたいと思います。

・神の約束に信頼して歩むことの大切さ

 アブラハムは神の招きに応えることによって、神の約束に向かって生きる決断をしました。私たちも神の招きに従って歩むことができるように共に祈りましょう。