巣鴨教会聖書研究会 創世記11章

2004年1月18日 渡辺善忠

1.バベルの塔の物語のメッセージ

 洪水後の人間は、神の祝福のもとに地に満ちて行きましたが、自分たちの数が増すにつれて次第に神から離れて行こうとするようになりました。バベルの塔の物語には、神の祝福によって数が増した人間が神から離れて傲慢なふるまいに至り、ついには 散らされてしまう出来事が集約的に示されていると言えましょう。

私たちはこの物語から二つのメッセージを聴きたいと思います。

@神の言葉によらず人間の言葉に頼る時に、私たちは罪に陥る

 第一のメッセージは、私たちが神の言葉に信頼することを忘れ、自分たちの言葉  だけに頼ろうとする時に神から離れてしまう(=罪に陥る)ことへの警告です。

私たちはこのことを、神の祝福のもとに人間が増えていった平和な状態と(10章)、神をないがしろにして事を起こそうと相談する人間の愚かな姿(10章4節)から  示されるべきでありましょう。神はこのような私たち人間の姿をご覧になって、「皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ」(6節)とおっしゃい  ましたが、この御言葉には、神の言葉から離れて私たちの言葉だけで歩む時に、   私たちが罪に陥ってしまうという戒めが示されています。

A「塔」はバビロニア帝国の象徴

この物語の背景には、興隆を極めていたバビロンのマルドゥク神殿があると考えられています。8〜9節には「バベル」の名称がヘブライ語の「混乱」に由来していることが記されておりますが、近年の研究によりますと、この名称には、創世記が編纂された時代にイスラエルの人々が捕らわれていた都市「バビロン」の影響があると  考えられています。考古学の研究によりますと、紀元前7世紀にバビロンに建てられた碑文には次のような文章が刻まれていたそうです。

 「神マルドゥクは私にバビロンの階段のある塔エテメナンキについて命ぜられた。

  それは私の世になる前に廃墟になったが〜その頂を天のようにせよと〜私は焼き

  れんがを造らせた。私はアスファルトを流させた。」

 この中の「頂を天のようにせよ」「焼きれんが」「アスファルト」という言葉は、   バベルの塔の物語が、創世記が記された当時のバビロンの神殿を背景としている  ことを示しています。私たちはこのことから、創世記の著者が、イスラエルの人々が捕われていたバビロニア帝国の栄華の虚しさを伝えると同時に、神に信頼することを説き伝えるためにバベルの塔の記事を収めたことを示されたいと思います。

2.私たちへのメッセージ

・神の言葉のみに頼ることの大切さ

 この物語には、私たちが教会においても日々の歩みにおいても、神の言葉である聖書の御言葉から離れる時に罪に陥ることが示されています。私たちはこのことから、聖書の御言葉に従って歩み続けることの大切さを示されたいと思います。

 ・都市文明への警鐘

  創世記の著者が古代都市バビロンを背景とする物語を収めたことには、現代の 都市文明への警鐘があるのではないでしょうか。私たちはこのことをおぼえて、「造られた者」としての道を歩み続けることができるように祈り合いましょう。