巣鴨教会聖書研究会 創世記4章

2003年8月17日 渡辺善忠

1.カインとアベル

 エデンの園から出て行ったアダムとエバは、カインとアベルを与えられました。

2〜7節には、神がアベルに目を留め、カインには目を留められなかった出来事が語られていますが、ここには、神が「アベルとその献げ物」に目を留め、「カインとその献げ物」には目を留めなかったと記されておりますので、神が「献げ物」だけでなく、アベルとカイン自身に異なった思いを持っておられたことがわかります。神がなぜ二人に対してこのような異なった思いを持たれたのかということについては様々な解釈がありますが、現在では「アベル」が牧畜民族を、「カイン」が農耕民族を代表する存在として解釈する説が最も広く支持されています。

この解釈は、元々牧畜民族であったイスラエルの人々が農耕を始めるようになり、土地を持つようになったことによって土着の宗教が入り込み、宗教的な堕落が始まったとする理解が「カインとアベル」の二人に象徴されており、神がアベルに目を留めたとする説です。この物語は神学的な主張が強い「J」と呼ばれる資料を基にしておりますので、この解釈はこの物語を理解する最も有力な説であると考えられています。

2.神の選びと殺人について

エデンの園を追い出された人間が最初に犯した罪は「殺人」でした。

このことには、神によって創られた私たちが、共同生活を始めるやいなや、他者との確執の中に生きざるをえない姿が示されていると言えましょう。

私たちはさらに、カインがアベルを殺したことから、神の選びを受け入れることができずに他者を殺してしまう私たちの罪を示されたいと思います。

この物語の中では特に、神がお選びになったのが「長子(=カイン)」ではなく「年下の者(=アベル)」であったことから人間の争いが始まったことに目を留めたいと思います。このように、神が年下の兄弟を選ばれることは、ヤコブとエサウ(創世記27章)や、ヨセフ物語(創世記37章以降)を始めとして、放蕩息子の話(ルカ福音書15章)にも共通する主題です。このことには、イスラエル社会において尊重されていた「長子権」(長男が財産を相続する権利)という考え方に対して、神が自由なご意思で選びを行われることが示されています。

従って、カインがアベルを殺した出来事には、神の選びを受け入れることができない私たちが神から離れ、罪を犯してしまう姿が描かれていると言えましょう。

3.私たちへのメッセージ

 ・神は自由なご意思によって人間を選ばれる

神が自由なご意思で人間を選ばれることは、神が私たちを教会に導いて下さったことにも示されています。私たちはこの物語から、神が自由なご意思によって私たちを選んで下さった恵みを示されたいと思います。

・神の選びを受け入れない時に、私たちは神から離れる

   私たちはこの物語によって自らを顧み、「罪を治める」(7節)者とされ、神にしるし(=洗礼)を付けられ(15節)、神の守りの下に歩むものとされるように祈りを合わせましょう。