巣鴨教会聖書研究会 出エジプト記5章〜6章1節

2007年7月15日 渡辺善忠

 

1.抑圧される民

 この章には、イスラエルの民がファラオから抑圧を受けた出来事が赤裸々に描かれています。エジプトの奴隷制度の研究によると、イスラエル以外の人々もエジプト人から虐待された出来事が資料に残されていることから、この場面に史実が反映していることは明らかです。また、この章に記されているファラオの様々な抑圧政策には、近現代に至るまでの政治家の狡猾な支配方法が象徴されていると言えましょう。

私たちはさらに、出エジプト記の著者が、史実を伝えるためだけではなく、神の民が理由なく虐待を受けることがあることを示すために、虐待の出来事を記したことを心に留めたいと思います。なぜなら古代エジプトの出来事は、イスラエルが捕虜としてバビロンに連れて行かれた時代や(紀元前6世紀)、ローマ帝国に滅ぼされた時代(紀元後70年)はもとより、第二次大戦中のユダヤ人の虐殺にも通じる出来事であるからです。このことから、出エジプト記の著者はこの場面によって、神の民がいつの時代にも、言われなく抑圧を受ける可能性があることを預言していると考えられます。

 また、続く6章1節には、神が民を救って下さることを約束する言葉が記されています。このことから、出エジプト記の著者はこの御言葉によって、神が、虐げられているご自身の民を必ず顧み、救って下さる御業を示していると考えられます。

 

2.モーセとアロンの役割

 ファラオはイスラエルの人々の中から下役を立てて、イスラエルを分裂させるように仕向けます。このことについて、キング牧師は次のように述べています。

 「ファラオたちは彼らの奴隷たちを虐待し続けるために、効果的でお気に入りの策略を用いた。それは奴隷たち自身を互いに戦わせることだ。〜中略〜しかし、奴隷たちが団結する時、歴史という紅海は開かれ、奴隷制度というエジプトは崩れ去る。」

 この言葉には、為政者や権力者がいつの時代にも同じ方法を用いて民を支配しようとする出来事が示されています。20〜23節には、モーセとアロンが、分裂していた民と神との狭間に立ちつつ、神の言葉を語り伝えた出来事が記されています。この出来事の背後には、モーセとアロンを用いて、為政者や民にご自身の存在を示し、分裂していた民を再びご自身の民として創造された神の御業があると言えましょう。モーセとアロンが担ったこの働きは、旧約聖書の時代においては、預言者たちがイスラエルの声を聞きつつ、神の言葉を語った出来事に受け継がれました。

 現代では、人々の声を聞き、神の救いの御業を語り伝える役割は、教会に託されています。私たちはこのことをおぼえて、日々の歩みの中で人々の声を聞き、神の救いの御業を伝える器として用いられることの大切さを心に留めたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 イスラエルの民が、旧約時代から現代に至るまで言われない迫害を経験したように、私たちもまた、理由なく苦しみを経験することがあります。そのような時には、神が沈黙しておられるように思えるかもしれません。しかし私たちは、神が苦しむ民を顧みて下さる約束の言葉を心に刻むことによって、私たちを苦しみや悩みから助けて下さる神の御業に希望を与えられつつ、信仰の歩みを続けてまいりましょう。