巣鴨教会聖書研究会 出エジプト記4章

2007年6月17日 渡辺善忠

 

1.信仰と服従

 4章には、神の召命から逃れようとするモーセの姿が伝えられています。この場面では、モーセが神に繰り返し抵抗した出来事が赤裸々に描かれていることから、出エジプト記の著者は、この場面によって、不信仰な思いを抱きながらも、神の召命を問い続けることの大切さを説き明かしていると考えられます。また神が、信仰深く正しい者だけではなく、不信仰で罪多き者をご自身の働きのために用いて下さることも、この場面が持つ大切な意味であると考えられます。

 さらに、この場面で、神がモーセの不従順を受け入れ、繰り返しご計画を変更されたことには大切な意味があります。なぜなら、神がモーセにしるしを与えた出来事や(2〜9節)、モーセの助け手としてアロンを召したことには(14〜17節)、モーセの意志を尊重して下さる神の寛容な御心が示されているからです。このように、神が召命を一方的な命令と考えておられなかったことは、3章の内容とも通じています。

この出来事には、神が、不平に満ちている私たちをもご自身の働きのために召して下さる御業が象徴されています。私たちは、神ご自身がモーセを創られた御業を語られた御言葉を心に刻み、私たちに生命を与えて下さった神が、それぞれにふさわしい働きを与えて下さる御業を見出す信仰の目を与えられたいと思います。(11〜12節)

 

2.出エジプト記の背後の資料について

 4章24〜26節には、神がモーセを殺そうとした出来事が記されており、物語の文脈にそぐわないため、この部分は古代の資料の断片であると考えられています。このことには出エジプト記が、複数の資料に基づいて編纂されたことが示されています。

この部分が前後の出来事に関わりなく収められた理由については多くの説がありますが、比較的説得性が高い二つの説を以下にご紹介致します。

 @この物語には、神がモーセの生死を司っておられることが強調されている

 神はごく普通の人間であったモーセをご自身の働きのために召されました。このことから、モーセの生死を握っておられるのがあくまでも神であることを強調するためにこの物語が収められたとするのが、第一の理解です。

 A「割礼」と「血」による儀礼の大切さを示すため

 古代のイスラエルの人々は、神が生命を守って下さる保証として、割礼を受け、血を塗る儀礼を大切に考えていました。そのため、割礼と血による儀礼の始まりとしてこの物語を収めたという考えが、第二の理解として上げられます。

 いずれの説も理由として充分でないことから、私たち人間の考えでは神の御業を全て理解できないということも、この物語が含んでいる意味であると思われます。

 

3.私たちへのメッセージ

 出エジプト記の著者は、神がモーセの抵抗を顧みて下さった出来事によって、私たちの不満に耳を傾けて下さる神の寛容さを語り伝えています。またこの出来事には、私たちが祈りの内に神と対話することの大切さが示されています。私たちはこの出来事によって、聖書の言葉と聖霊の導きによって祈りの内に神と対話することの大切さを心に留めると共に、飽くことなく神の御心を求め続けつつ歩んでまいりましょう。