巣鴨教会聖書研究会 出エジプト記2章

2007年4月15日 渡辺善忠

 

1.モーセ物語の序章

 モーセはファラオによるヘブライ人抑圧政策のただ中に生まれました。1章の終わりには「生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め」と記されていることから、この時代には多くのヘブライ人が殺された可能性があります。このことから、出エジプト記の著者は、ファラオがヘブライ人の男の子をナイル川に放り込んで殺すこととは対照的に、神がモーセをナイル川から助ける御業を示していると言えましょう。

 またファラオの娘がモーセを助けて養育し、後に養子とした出来事には、王の政策に批判的な身内が存在した史実が背景にあると思われます。現在のところ、エジプトで他国人の子供が長期間に渡って殺された資料が発見されていないことから、ファラオの残虐な政策は短期間に過ぎなかったのではないかと考えられています。

 またモーセの名はエジプト名であったため、出エジプト記の著者は、モーセの両親が共にユダヤ教の祭司の家系に属していたことを明記しています(1節)。この記述にはまた、モーセが後に祭司の役割を担うことへの伏線の意味があります。また11節以降の出来事には、モーセが正義感に溢れる気質を持っていたことが伝えられています。

 私たちはこのことから、2章には後々のモーセの歩みへの伏線がちりばめられていることを心に留めつつ、この後の物語を読み進んでまいりたいと思います。

 

2.神の創造の御業

 出エジプト記1章と同様に、2章でも神の創造の御業が語られています。神の創造の御業は、2章においては特に、モーセが入れられた「籠」という言葉に示されています。なぜなら「籠」の元のヘブライ語には、ノアが乗った「箱舟」と同じ言葉が用いられており、モーセもノアも水の中から救われることから、出エジプト記の著者はこの言葉によって、神の創造の御業をあらわしていると思われるからです。

 また、ファラオの娘がモーセを助けた出来事も、神の創造の御業を基として記されています。なぜならこの場面では、エジプト人であるファラオの娘が、神が創られた人間の一人として、イスラエルの人々を助ける役割を担っているからです。このことから、出エジプト記の著者は、神の働きを広い視野で理解していると言えましょう。

 このように、神の働きが広い視野で理解されていることは、出エジプト記が編纂された当時のイスラエルが、新バビロニア帝国という異邦人のただ中で歩んでいたことが背景にあると言えましょう。なぜなら、イスラエルの人々は、エジプトという大国を新バビロニア帝国と置き換えて理解し、神が全ての国々を治めておられる御業に慰めを与えられつつ歩んでいたからです。私たちはこのことをおぼえて、神が地上の全ての被造物を統べ治めておられる御業に目を上げて歩んでまいりたいと思います。

 

3.私たちへのメッセージ

 パピルスで作られた粗末な籠に入れられた幼子モーセは、馬小屋の飼い葉桶に入れられた幼子イエスを遠く指し示しています。私たちはこの二人が共に貧しい姿で生まれた出来事を心に留めて、神が、私たちの考えが及ばない方法でモーセと主イエスを地上に遣わし、ご自身の救いの働きを担わせた御業を心に刻みたいと思います。